私は20歳の時、交通事故で両目の視力を完全に失いました。失明直後の私は、人生に絶望していました。しかし、好きだった『身体を動かすこと』を始めていく内に、全盲でも走れることを知ったのです。手探りで走り始めた私は、障害者のオリンピック「パラリンピック」という言葉を耳にするようになりました。パラリンピックへの憧れは次第に“夢”へと変わり、到達すべき“目標”となっていったのです。
盲導犬と共に大学で学び、シドニーパラリンピックに出場。卒業した私は、陸上の活動拠点を東京に移しました。そして、アテネパラリンピックを含む、七度の国際大会に参加し、金銀銅、5つのメダルを獲得しました。これは私一人の力ではなく、私を応援し続けてくれた家族や知人、ふるさと三田の方々の応援があったからです。競技生活を引退し、父親となった私が、新しい家族との生活を考えた時、真っ先に浮かんだのは緑豊かな三田でした。『子育ても仕事も、三田でしよう!』そう思い、家族と共に故郷に帰ってきたのです。
地域の人たちに育てられた私も、今は、子どもたちを育む地域の一員になりました。パラリンピックや盲導犬の話をし、陸上教室や障害者スポーツの体験会などをしています。また、治療院では、鍼灸師として、競技に励む少年少女のケアをしながら、彼らの夢に耳を傾けるのです。
私の競技生活の一端を伝えることで、夢への可能性を知ってもらい、挑戦し続ける強い心と勇気を持つことの大切さを知ってもらいたいと思っています。私は障害を負っても、パラリンピックという夢を糧に、障害を乗り越えられました。同じ様に、“夢”を持っていれば、辛い時でも夢が“人生の道標”となってくれるはずです。人はいつ、いかなる時も夢を持ち続け、追い続けることを忘れずにいれば、必ず人生は微笑みかけてくれるはずです。
私も、皆さんも「夢追い人」であり続け、人生や我が町をより充実した豊かなものにしていきましょう。
齊藤 晃司