妻との結婚を期に三田に移り住んでから25年の歳月が暮れようとしています。最初の私の三田のイメージは、何といっても豊かな自然に恵まれた美しい街であること。人の心のぬくもりとゆとりが充分に残っていること。その反面、意外に大阪や神戸に出るのにも距離的に近いといったことでした。ずっと三田に住み続けて、とても満足しています。
交通もより便利になり、人口も増えて、都会の持つおしゃれな面と田舎の持つ情緒の入り混じった、とても魅力的な市へと発展しました。その街づくりの集大成とも言うべき存在が、2007年7月にオープンしました「郷の音ホール」ではないかと思っています。三田という、この魅力的な土地柄があって、日本に帰国してからも、ヨーロッパに留学していた時と同じような「ゆとり」を大事にした生活環境を保って、自らの音楽を向上させていくことができました。
三田市の変化でやはりいろいろな印象が残っているのは、JR三田駅の長い年月の変化です。25年前は、まだ駅舎は平屋で、改札口は、列車の発着の時のみ開くという、のどかな状況。列車は、ブルートレインかディーゼル車でした。それが、昭和62年に複線電化となり、駅舎が2階建てになり、まわりの区画も整理され、キッピーモールもできた。そして学研都市への乗り入れが今日の私の同志社女子大学への通勤を心地よいものにしてくれています。
三田が一歩一歩、街として洗練されていくのを見るのは、とても住民として嬉しく心ときめく思いが致しました。これからの三田がさらにどんなふうに成熟していくのか、とても楽しみです。一市民として特に芸術面において、お手伝いすることができればと願ってやみません。
中野 慶理