少年から青年への人生でもっとも多感でエネルギーに満ち溢れている時期を三田市内で過ごさせていただきました。その三田の街が、2008年に市制施行50周年を迎えられると伺いました。心よりお祝い申し上げます。三田が「町」から「市」へと“成長”された時期と私の学生生活が重複しているのも何か深い縁を感じております。
満開の桜に迎えられ、三田での生活が始まりましたのは、1954年の春のことでした。淡路島の岩屋にある石屋小学校を卒業し、父の勧めもあり、三田学園に入学いたしました。長閑(のどか)という点で、岩屋と共通しておりましたが、海のすぐ近くから山に囲まれた土地へ。そして親元を離れての寮生活。やはり環境面で大きな変化がありました。
母校での思い出のほとんどは、寮生活にあります。悪童たちが、学び、鍛え、同じ釜の飯を食べと文字通り寝食を共にした暮らしでした。仲間たちとの連帯感や独立心、団体生活の規律などを身体で覚えていった6年間でした。時には、仲間たちと三田の街なかへ遊びに行ったことも懐かしく思い出されます。
小学校卒業と同時に大きく環境を変え、仲間たちと充実した時間を三田で過ごしたことが、自分の成長につながったと思っております。三田で人と人とのかかわり方を学んだことによって、大学生活や俳優業など人間関係にも恵まれ、様々な経験や仕事をさせていただくことができています。また、仲間たちとの切磋琢磨により、困難や波浪に負けない強い心を持つことができたと感謝しています。三田で過ごした6年間は、今も、私の心に強く刻まれている青春の思い出です。
学び舎を後にして、すでに約半世紀。私たちの過した寮もすでに取り壊され、母校もかなり姿を変えてしまったようですね。三田の街も当時とは比較にならないほど発展されていると伺っています。青春を過した思い出の街・三田が今後ますます発展されていくことを祈念しております。
渡 哲也