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思い出がたくさん詰まった街・三田

独自のワールドミュージックを創出 orange pekoe 藤本一馬さん

いきなりですが僕は三田の町が大好きです。なのでこのお話を頂いたことをとても嬉しく思っています。僕は現在ミュージシャンとして活動しておりますが、僕が本格的に音楽を始めた頃と同時に、僕と三田との深い繋がりが始まりました。それは高校生のときです。高校受験で三田学園を選んだからです。もともと三田学園は中高一貫の学校なんですが、高校からも少し入学の枠があって、僕はそれで高校から入学することができました。

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僕の実家は宝塚市にあって、中学校は地元の公立中学に通っていましたが、高校受験に迷っていた僕に母親が「あんたにピッタリや!」と大絶賛して、僕自身も学校を見に行ってとても好きになり、受験を決めました。うちの母親はとても直感が鋭く、その時もどうやら直感だったみたいです。そんなところから三田と僕との関係が始まっていくわけですが、なんせ毎日毎日学校に通うわけで、いろんなシチュエーションで三田の町が思い出に残っています。

友達もほとんどみんな三田に住んでいましたから、遊びにいくのも三田が多くて、友達の家に泊まらせてもらったりとても楽しく、またとにかく緑が沢山あって、空気がきれいで、外でもよく遊びました。その頃中学3年生のとき始めたギターを本格的にやり始めていた時期で、バンド仲間なんかも徐々に探していたんですが、なんと三田学園にはギター研究同好会という、いわゆるバンドサークル的な活動をしている同好会がありまして、「これだ!」と思ってすぐに飛びつきました。その中でバンド仲間もできて、あの三田学園の伝統的建築の校舎の一角で、授業が終わると夜まで、ギンギンとセッションを繰り広げておりました。木造校舎なんでよく響くんですね。

夏は激暑、冬は極寒。冬なんか暖房もないから、手がカチンコチンにカジカミながら、そんなの気にせず、夜までひたすらセッションしてました。しかも顧問の先生がまたギターリストで、ブルースが大好きだったんです。先生を交えたジャムセッションもしょっちゅうでした。それがまたとても楽しくてですね。なかなかないですよね、そんなの。今考えるとすごい環境だなと思いますね。それがあったから今の僕があるなと思ってます。さらに三田は音楽に熱く(僕のまわりがそうだったのかな?笑)、スタジオも学校の近くにあったんですね。そのオーナーさんにもとてもお世話になりました。なんととても安く貸してくれるんです。その頃僕たち高校生で、お金ないですからね。それはとてもありがたかったなあ。

高校の文化際の時は小寺ホールにて一応ライヴがあるんです。といっても発表会みたいなものですが。そのときにそのスタジオのオーナーさんが音響をやってくれるんですね。とても暖かい現場でした。そんな土壌は僕の音楽人生にとってとても大きかったですね。あとですね、三田学園はですね、学食が美味いんです。とくにカレー。絶品ですね。久しぶりに食べたいなあ。お昼になったら届けられる地元のパン屋さんのパンも最高だったな。あの頃はよく食べてよく太ってたなあ。

三田学園は伝統を重んじる学校なので、先生方もとても厳しいのですが、とても暖かく、たくさんの思い出があります。若い先生も多かったので、男子校ならではの男同士でしか話せないことなど、今思うと良き兄貴的な存在だったように思います。また久しぶりにお会いできるなら、人生の先輩としてまたいろいろなお話を聞けると嬉しいですね。

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そうそう、男子校というともちろん女の子はいませんからね。他の学校の女の子に目がいくわけです。言っても年頃ですからね。僕は学校へ行くのに宝塚からだとJR三田から神戸電鉄に乗り換えるんですが、その神戸電鉄で毎朝合うとてもかわいい女の子がいましてね。情けなくも僕は一度も声をかけることができなくて、毎朝ドキドキしました(笑)。帰りの電車はいつも楽しかったですね。友達とひたすらたわいもないことを話合ってました。

学校の帰り、音楽に詳しい先輩がいて、その先輩の家が三田からさらに一時間ほど奥へいったところへ住んでいて、田園風景がひろがっていて、その先輩の部屋が田んぼの隣にありまして、そこでいろんなCDを聴かせてくれたのを思い出します。三田は寒いから冬はよく雪が降りました。雪の中の帰宅を思い出しますが、僕の気持ちは毎日友達とのトークで熱くなり、雪なんか気にしてなかった気がします。でもなぜか今あの雪の風景が思い出とともによみがえってきて目の前に鮮明に広がります。寒かったのに暖かい記憶がとても不思議です。

そんな高校時代を過ごしたわけですが、高校を卒業した後もしょっちゅう三田へ行きました。友人とセッションしたり、飲みに行ったり、三田のいろんなお店にも行きました。今でもちょくちょく三田に帰ってます。いろいろ開発されて変わってしまったところは沢山あるけれど、改めてとても素晴らしい環境の中で高校三年間を過ごしていたんだなあと思います。

僕は今東京に住んでいますが、久しぶりに三田に帰ると空気がとても澄んでいて気持ちいいです。そして自然があって、町がきれいで、今発見することがたくさんあります。三田では濃い日々を過ごしていたので、とても思い入れがあって、僕自身も自分の町という気持ちがあるし、そんな三田が変わらず素敵であり続けていってほしいと願っています。

えっ?何で三田に帰って来るって?それはですね、高校時代の友人たちとの忘年会や、飲み会です。毎年三田で集まるんです。そんな僕の大切な人や仲間、場所、そして思い出がたくさん詰まった三田。年齢を重ね、今年もまた三田に帰って、改めてどんな三田を感じ、発見するのか。楽しみです。ありがとう、三田。


藤本 一馬

■プロフィール
三田学園卒業。ギタリストの父親の影響でビートルズにのめりこみ、その後ギターを弾き始める。叔父の影響でジャズに傾倒。そのルーツである、ブルース・ソウル・ブラジル音楽等様々な音楽も吸収。‘98年大学の軽音楽部で意気投合したナガシマトモコ(ヴォーカル、作詞)とorange pekoe結成。02年メジャー・デビュー。ジャズ、ブラジル音楽、ソウルなど、さまざまなワールド・ミュージックを独自に昇華したスタイルは唯一無二。
■関連ホームページ
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