三田市市制50周年おめでとうございます。
当時私は三輪小学校に通っておりました。市制発足のときか、市庁舎完成のときか記憶が曖昧ですが、小旗を振って式典を祝い、 紅白の饅頭をもらったことを覚えています。
戦国時代の古文書に「荒木村重、北畑助左右衛門を打ち払い」という記述があると有馬郡史に書かれていますが、下田中村の小 豪族が我が家のルーツで、今も両親と親族のほとんどが市内に住んでおります。 三田学園卒業後、上京して40年になりますが、生粋の「三田っ子」であると自負しており、東京でお国自慢をしています。 三田市の見違えるような発展のおかげで、慶応大学の「三田(みた)」と混同されることも少なくなりました。
「経済産業省のトップに三田ゆかりの人がなるのは白州次郎以来ですね。」といわれて何のことか分かりませんでした。 山本七平賞を受賞された北康利さんの著書を読んで、吉田茂総理の側近として活躍した白州次郎が、幕末の三田藩重臣白州退蔵の 孫であると知りました。
昭和24年に貿易庁長官に就任、商工省と合併して経済産業省の前身、通産省を創った人ですからこれだけでも 相当不思議な縁だと思います。その上、北康利さんの御母堂が、小旗を振って式典を祝ったときの三輪小学校の恩師、中西(旧姓)先生 なのですから、もう奇縁というしかありません。今度帰郷したときは、白州家の菩提寺、心月院にお参りしようと思っています。
経済産業省 事務次官 北畑 隆生